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ロシア音楽の礎 -アントン・グリゴリエヴィチ・ルビンシテイン-

かつてソ連(現在のロシア)はピアノ大国でした。

ホロヴィッツ、リヒテルなど演奏は聴いたこと無くても、これら巨匠の名前は耳にされた方が多いのではないでしょうか?

更にそれよりずっと前にもロシア出身のピアニストは、アメリカやヨーロッパ各地で活動し、絶対的な人気と実力を誇っていました。

「のだめカンタービレ」でピアノ協奏曲2番を主人公の千秋が演奏し、また先日も日本人ピアニストの辻井伸行さんが同曲で世界的なコンクールで優勝したことから、すっかり大衆的な人気の出たラフマニノフ。

児童のための音楽劇「ピーターと狼」やバレエ「ロミオとジュリエット」などで有名なプロコフィエフ。

神秘和音で一部マニアには人気のスクリャービン。

現在でも指揮者としても人気の高いアシュケナージや、特に日本で人気の高いブーニンなど、ロシア人のピアニストは多くおり、その正確無比でパワフルなピアノ奏法はまだまだ世界中の音楽愛好家を虜にしています。

で、そのロシアのピアノ大国への礎を造っただけで無く、ロシアの音楽界の礎の構築に大きな足跡を残したピアニスト兼作曲家兼指揮者がアントン・グリゴリエヴィチ・ルビンシテインです。
因みにアントン・ルービンシュタインと呼ばれることが多いですが・・・これは独語読みです。

ルビンシテインは1829年の生まれということですから、時代的には後期ロマン派の筆頭とも言えるブルックナーより5歳年下、同時代にワーグナーやブルックナーと激しく対立した新古典派のブラームスより5歳年上です。
しかし彼が育ったロシアの当時の音楽事情は、他のヨーロッパ諸国であるドイツやイタリアと比較すると、多様性のあるものでは無かったようです。
そんな中、彼は弟のニコライともども天才少年ピアニストとして、ヨーロッパやアメリカに渡って活動します。
「ロシアから来た鳥の羽の指を持つ少年」と形容されたと、以前に本で読んだことがあります。
少年時代の肖像画を見ると、ややクールで物静かな美少年といった印象ですが、何にしても当時のお金持ちの紳士淑女にはいろんな意味で喜ばれたことでしょう。

世界的なピアニストとしての名声と、莫大な富を得たルビンシテイン兄弟は、ロシアにも交響曲や協奏曲などの本格的な音楽創作の土壌を作るべく、1862年にロシア初の音楽教育機関である「サンクトペテルブルク音楽院」を設立します。
11歳年下で親友であったチャイコフスキーはこの音楽院の生徒となり、後には弟のニコライが設立したモスクワ音楽院の講師にもなっています。またヨーロッパ各地で音楽教育を受け、ドイツやイタリアの音楽様式や技術に精通していたグリンカに影響を受けた、「ロシア5人組」の1人であるリムスキー=コルサコフも、サンクトペテルブルク音楽院で作曲を教えています。
チャイコフスキーやリムスキー=コルサコフに教えを受けた生徒には、ラフマニノフやプロコフィエフなど、後世に名を残す多くの作曲家がいます。
つまりルビンシテイン兄弟が心血を注いだ「他国に負けないロシア音楽」創造の基礎は、チャイコフスキーの出現で開花したわけです。ロシア5人組は先輩であるルビンシテインや、同時代のチャイコフスキーを批判したりしていましたが、それもこれもルビンシテイン兄弟が道を切り開いたからできたこととも言えます。

次回はそんなルビンシテインの作曲家としてのお話を書かせていただきます。
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テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

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はじめまして。 中学生くらいに突如、音楽に興味を持ち「ブラバン」や「ロック・バンド」やよくあるコースで音楽を愛し、今はもっぱらDTMを趣味としてネットで自作曲を公開したりしています。

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