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ピュアにフュージョンを追い求めるとは(3)

「フュージョン」という音楽の一ジャンルについて、そもそも「フュージョンとは?」をテーマにいろいろ考えています。

よく1960年代後半ぐらいに現れたジャズ・ロックがフュージョンの祖先のような説明がありますが、実際にフュージョン(そのころはクロスオーバーと呼ばれていましたが)は、アメリカのレコード・レーベルであるCTIより、デオダード、ボブ・ジェームズ、ディブ・グルーシンなどの所謂「白っぽい」アレンジが施されていました。

ジャズ・ロックがソウルやR&Bなどの、黒っぽい音楽の要素を取り入れていったのとは、少し出自が違うように感じます。

都会的でスタイリッシュなフュージョンが好きなリスナーは多いと思います。そういう方々は多少の差はあれど1970年代のボブ・ジェームズやディブ・グルーシンのアルバムや、彼らが参加したアルバムを愛聴されたことでしょうが、彼らのアレンジや演奏のスタイルはCTIでの活動で培われた物が多かったことでしょう。

じゃぁジャズ・ロックは1960年代のジャズが、方向性を模索していた過程での一過性の物なのか?クロスオーバーは耳障りの良いイージー・リスニング・ジャズから発展していったのか?

ということで、ここで少し整理しておくべき事実があります。

この手の話題を書くと、どうしてもはずせなくなってしまう人物が、ジャズ・ジャイアントの中のジャイアント「マイルス・ディビス」です。
彼は1950年代後半に、ウェイン・ショーターというテナーマンにして天才的な作曲・編曲者と、ハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムスという、当時まだ10代後半~20代前半の若い最強リズム隊をメンバーとして、その後のジャズ・コンボの一つの方向性を決めたとも言える「モード・ジャズ」を推し進めました。
以前にもこの場で書かせていただいたのですが、マイルスのこのモード・ジャズの試みは、ジャズが多様性を増す中で依然としてのんびりとハードバップをやっていたマイルスが、ファンキー・ジャズやコルトレーンが進めていたモード・ジャズに対抗する形で確立したと理解しています。
しかし、このマイルスのスタイルもそれほど長くは続きません。昨今のポピュラー・ミュージックの停滞ぶりからは想像もつきませんが、当時のジャズは今の我々が思う以上のスピードで変化、多様化をしていたのです。
1969年、マイルスは伝統的なアコースティック楽器による、4Beat主体のモード・ジャズから、突如、ロックの要素を取り入れたいわゆる「電化ジャズ」を始めます。「In a Silentway」と「Bitches Brew」というアルバムがそれです。
ジョン・マクラフリンの歪んだギター、ジャック・ディジョネットの重くてかっちりとしたドラムス。ハービー・ハンコックやチック・コリア、ジョー・ザビヌルは、エレクトリック・ピアノやオルガンを弾き、これに管楽器(マイルスのペットやベニー・モーピンのバスクラリネットなど)が乗っかる。
ジャズについて書かれた文章やサイトなどでよく目にするのですが、この「In a silentway」と「Bitches Brew」こそがその後のクロスオーバーの元祖的な言われ方がされています。

しかしこれはこれで正しい考えなのでしょうか?

つづく・・・
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はじめまして。 中学生くらいに突如、音楽に興味を持ち「ブラバン」や「ロック・バンド」やよくあるコースで音楽を愛し、今はもっぱらDTMを趣味としてネットで自作曲を公開したりしています。

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